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​救いの証

​(10代女性)

『洗礼式の証』

 私が神様を信じたきっかけは、「放蕩息子」の話を聞いたときです。

 私は、クリスチャンホームの家庭に生まれたので、小さい頃から毎週教会に行っていて、この放蕩息子の話は何度も聞いていました。でも私は、「自分は一度も神様から離れていないから、この息子と自分はあまり関係ない」と思っていました。そんなとき、ふと目に入った場面がありました。ルカの福音書の15章25節から32節のところです。29、30節の兄の言ったことに対して、父が言った、「子よ。お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。」という言葉がすごく印象的でした。世界中に、神様のことを知らないで生きている人がたくさんいる中で、小さいころから集会に連れていってもらったり、日々神様に守られて過ごしていたことが、あたり前ではなく、すごく感謝すべきことだということに気づきました。そして私は、兄の不満の言葉の中に自分の姿を感じました。自分を正しい人として人をさばくことが、神様の前に一番大きな罪だと分かり、「神様、私の罪をお赦しください」と祈り、イエス様が、こんな罪深い私のために死んで下さり、復活された私の救い主であることを信じました。

 またある時、こんなことがありました。私が中学一年生の時に、仲が良かった友達が7人くらいいました。中には小学校の頃から仲の良かった子もいました。しかしある時から、なぜか一番仲の良かった子が私の悪口を言うようになりました。はじめは悪口だけだったのに、だんだんエスカレートしてきて、私が喋っても無視したり、目が合うと睨んだり、私の方を見てクスクス笑ったりなど、集団で嫌がらせをしてくるようになりました。私はその時仲の良い友達も、私の味方も一人もいませんでした。でも私はまだその友達のことを嫌いになりきれなかったので、その友達のところを離れることも、自分から一人になることもできませんでした。一人になるのが怖いという思いもありました。

 だから毎晩神様に、「仲直りできるようにしてください。」とお祈りしていました。でもいくらお祈りしても、私は仲直りしたいけど、向こうは仲直りなんて絶対望んでいなさそうだったので、どうしたらいいのかわからず、ずっとこの状況かと諦めかけていて、一ヶ月くらいたちました。するとある日、私に嫌がらせをしているグループの一人が、私に「もう違うグループに行って。」とはっきり言いました。その時はすごくショックで、何度もお祈りしたのにどうしてこんなことになるんだろうと思いました。しかし、次の日から、グループから外されたことで嫌がらせを受けることもなくなり、今まであまり話さなかった友達がよく話しかけてくれるようになりました。今ではその友達が一番の親友になりました。また、ずっと嫌われないようにと遠慮してきたのがなくなり、心が晴れたようにすっきりしました。それと、自分がこのような経験をしたことで、一人になるのも怖くなくなったので、周りのみんなに煙たがられている人にでも話しかけられるようになったりして、自分の心が強くなり、成長できたことを感じました。そして今では、私のことを嫌っていた友達とも普通に会話ができるようになりました。

 私は前、「仲直りできるようにしてください」とお祈りしました。一時はお祈りが聞かれなかったのかと思いましたが、信頼できる親友ができたり、精神的に強くなれたりなど、私が思っていたより、もっとすばらしい計画を神様は用意していてくださったんだと思いました。

 このような日々の神様からの恵みを通して、私は、こんな罪人でも、神様は愛してくださっているということに気が付くことができたんだと思います。

私はこれからもずっと、神様を信じて神様の言うとおりに従って生きたいと思います。

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