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​救いの証

(60代女性)

『永遠にかわらないもの』

【脈なし病(膠原病)から】

「あの人、脈なし病で、むずかしいんだって。若いのに可哀想に。いつ死ぬんだろうね―」と、陰でささやかれながら、わたしは原因も治療法もはっきりしないままに、昭和四十四年から四年近く病床にありました。

 病名は大動脈炎症候群(通称・脈なし病、高安病、膠原病)で、十代~二十代の女性に多く、患者数は全国で千人~二千人で年間百人程度が死んでいるという病気です。

 最初は関節があちこち疼くため「リウマチ」と診断されていましたが、はかばかしくなく、病名が確定してからは、「あなたの病気は、良くなると思って入院してもらっては困る。これ以上進行させないためですから。」と医師に言われて北九州の国立病院に入院したのでした。

 そのころ、私には心を寄せる一人の青年がありました。純粋でひたむきな彼は「たとえ全快しなくても、待っている」と言ってくれていましたが、ふと不安が胸をかすめるのです。彼は決して私を裏切るような人じゃない。でも、いつ病気や事故で、彼は取り去られるかもしれない。そうしたら、どうしよう。彼は素晴らしい人だが、やはり人間であり、有限の存在だ。それは家族や友人も同じだ―」

【生・死】

そんなことを思いはじめたら、居ても立ってもいられなくなり「もし何があっても、永遠に変わらず、信頼できるものがあるなら、それを得たい。」と、切に望むようになりました。

 そんな時、中学・高校ともキリスト教系の学園で過ごした私は、「本当のクリスチャンは、『らい病(ハンセン病)』の人でも、諦めや悟りではなく、心の底から『生かされていること』を感謝して、喜んで過ごしている」と聞いたのを思い出しました。

「私がもし、一生を病院で過ごさねばならないとしても、毎日を不平や不満で過ごすのではなく、心から生かされていることを、感謝しつつ過ごしたい。それほど人生を変える力が、聖書にあるなら、それを知りたい」と願い、ラジオの聖書通信講座などで、聖書を学び始めました。

 そんなある日、病院伝道をしている方に誘われて、集会に行きました。そこで受けた印象は、どのクリスチャンも皆、生き生きをしていて、心から愛し合い、不思議な喜びを持っているという事でした。また壁に掲げられた聖句の
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」(ローマ6の23)
特に、「永遠のいのち」という言葉に強くひかれました。それからは、できる限り日曜日には、病院から集会に行きました。

【眠れぬ夜】

そうこうするうち、隣室の療友の病状が悪化して亡くなり、それはひどいショックでした。

「わたしも今晩死んだら、どうしよう。この笑ったり、泣いたり、考えたり、話したりしている私は、いったいどこへ行くのだろう」と、消灯後、青白い月が、松の小枝を透かして、病室を照らすのをじっと眺めながら眠れない幾夜を過ごしました。

しかし聖書だけは、少しずつでも読み続けていました。そして私は初めて、「罪」という事に気づきました。「罪」とは警察にお世話になるような犯罪ではなく、神に造られ、神に愛されている人間が、その神の存在に気づかず、自分勝手な「的はずれ」な生き方をしている事です。そして私の心の中も、醜く汚れている事に気づきました。

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3の21~26)の御言葉がわかってきたのです。

【神の大きな愛】

「イエス様は、私が今日まで犯してきた、すべての罪の身代わりとして、あの酷い十字架にかかって裁きを受けて下さった。それは死後、わたしが当然受けるはずだった― 神は忍耐をもって、今日までわたしの罪を見のがしていて下さったのだ。「神の義」とは「ただこのイエス・キリストを真心から信じる」ことだったのか、それだけで、私のすべての罪を赦して下さるなんて……」

 あまりの偉大な「神の愛」に圧倒され、心の底から感謝と喜びが湧きあがりました。そして
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(わたし)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、「永遠のいのち」を持つためである。」(ヨハネ3の16)
の御言葉によって、「永遠のいのち」を確信したのです。

【救いの喜び】

「今晩死んでも、罪が赦されているから、怖くないよ。わたしは今日から、いつ死んでも天国に行けるのよ。」と、病室の中を跳ね回らんばかりに喜びました。その夜は久しぶりに、ぐっすり眠りました。

 それ以来、「人生には無駄なことは、何一つない。わたしが一生病気で過ごすことが、神の御心なら、それも喜んで受けよう。しかしもし、私が元気になって働く使命があるなら、神は必ず、この病から解放してくださる。」と信じて祈り続けました。するとある日、
「いやすのに時がある。」(伝道者の書3の3)
が示され、イエス様の最も良いと思われるときに、この病から解放してくださるのだな、と、本当にうれしくなりました。

【新しい命】

そして病は本当に徐々に回復し、九ヶ月後には完全に癒されて退院することができました。

「わたしの健康は、神様の賜物だから、これからの人生、イエス様が最も喜んでくださる場で、この健康を使いたい。」と祈り、かねてから願っていた児童養護施設(旧称・孤児院)の保母になりました。肉体的には夜勤などもあり、変則勤務で大変な時もありましたが、不思議に守られ、また日曜日ごとに集会に通い、六年間喜びつつ働きました。

 妹も昭和48年に救われ、続いて弟も父も救われ、また卒園生の中からも、イエス様を求める人々が生まれてきました。

 今、思い返すと、わたしはいやされ健康が与えられましたが、神様の御心は一人一人違うと思います。ある人はいやされず、病気のまま、神様の栄光(すばらしさ)を現わしておられます。

 現在わたしは、イエス様によって結ばれた夫と息子と共に「まず神の国と神の義を求め」つつ、神様を賛美しながら感謝に満ちた日々を過ごしています。

「聖書はこう言っています。『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。』
主(イエス・キリスト)の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」(ローマ10の11と13)

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